【タクティクス講座10編、《僕達の小さなアメリカズカップ》】
今回は少し別の話しをしましょう。
皆さんウインドサーファーは、色んな目標を持ってウインドしていることと思います。
僕はウインドでウエーブすることをメインに考えてんですが、そのウエーブの出来る
シーズンは短く(当時のウエーブボードは今に比べると相当性能が悪くて走りも悪く、
セイルも4.7ぐらいが最大でしたから冬のシーズンのみの遊びだった)その為レースに
夢中な時が15年ぐらい続きました。ウインドサーファー艇に乗っていた15年ぐらい前は、
全日本選手権を目標に!そして月日は経った。
思えば、一番僕のレース人生の中で全てを懸けた大会が、第一回(7年前)愛知国体の
静岡県予選だったのかな!当時、(鉄腕)秋田さんって言うライバルがいて、その予選
でどっちが勝つか!(予選通過は1人のみ)僕達は、その予選2日間だけの大会の為に、
おおよそ2年前からお互いにプランを立て始めたんです。ボクシングでいうならKO
狙い・・本とに全てを懸けたのです。技術的アップ、精神面強化の為に、あらゆる大
会に2人で出まくりました。当時2人ともメーカーにサポートされてたのでセイルの開
発を互いにして、色んな大会に出てチューニングをしてきました。ボードもお互い何
十万円もするカスタムボードをその日のコンディションを想定して何本も造ってきた
のです。秋田さんは微風域に合わせて、僕は順風から強風域を想定して2人とも全く
違ったボードが出来上がっていました。実力的には、僕はピークでしたし、秋田さん
も同じように最高の状態だったと思います。だから予選通過することが全てだったの
です。予選通過すれば、本選で3位以内は確定って感じでしたから。さて本番、僕の
予想とは反し朝から薄曇りの風無し、そんな状況で2日間、風は終始2~3m/s。
5レース中5レースとも秋田さんに取られ、僕にとっては最悪の結果で終えてしまい
ました。今だから明かす涙・・・。4レース目の2上マーク(最終上マーク)を回った
頃、僕の勝つ可能性は無くなり、フリーのレグでトップを走る前の秋田さんの後ろ
姿が、涙と降りしきる雨で全く見えなくなったこと。ほんとに全てを懸けた勝負でKO
負けだった。これが後にも先にもウインドの大会で流した、たった1回の涙でした。
結果は最悪だったけど、今ではとてもいい思い出に変わっています。人生そう甘いも
んじゃないってのをライバルに教えてもらったんだろうか。それからも2人の戦いは
づっと続き、その後の大きな大会は相当リベンジしてきたつもり?です。そう、ウイ
ンドで上手くなりたかったら絶対ライバルをつくること!必要だね。ライバ
ルがいる時は、「こいつさえいなければ!」何て当時は思ったりしたものだが、
そのライバルがいたから、互いに向上して、その戦える上の位置までいけたんだよね。
《小さなアメリカズカップ》
セイルに関してはドラフト、ラフカーブ、パネルレイアウト、フィルムの厚み、
リーチライン等のデザイン
それからボードですが、ボリューム、ロッカー、フィンサイズ、ジョイント位置、
ダガーサイズ、レイル形状等
さらには、マスト硬度の選択、バテンのデザイン等も
全て自分でテストして、そのイメージをその2日間のコンディションを想定して
造り上げていくのです。金も掛かったけど、そのイメージに近付けていく過程には、
計り知れない魅力が有ったかもしれません。本とに、熱かった~!!
だから、自分で道具を作り自らがセイラーとなり、レースに臨む!僕の中では小さな
アメリカズカップだったのです。
当時、ライバル秋田さんと優勝争いするのが楽しくて仕方なかった。
上は第11回全日本実業団選手権。その下は第7回実業団全日本選抜選手権。
大きな大会は何時も激しいバトルだった。勝った時は何時も僅差だった。
秋田さんには申し訳ないですが、勝った時だけのリザルト載せちゃいました。