【タクティクス講座18編《レース引退の日》】
忘れもしないレース引退を決意した日。1999年××日。
熊本国体の最終レースで得意のフリーレグで得意の風の中の軽いプレーニングコンデ
ィション。プレーニングしていながら、得意の風速の中でなぜか抜かれまくった。
上マーク回航してサイドマークのレグで抜かれまくることはそれまであまり無くて、
このことはかなりショックだった。
しかも、気が付けば出場する若手の顔ももう知らない選手ばかりだった気がする。
当時、会社に勤めながら夜にはお店(ウインズ171)というラップした休みの無い生活で
ウインドの練習時間もほとんど無くなり、既にレースに没頭するエネルギーは失せつ
つあった時期だったこともあり・・・。
そして向えた最終レースの最終レグはパンピングする気にもなれず、この時に気持が
完全に終わった。その日からコースレースに乗る気はなくなってしまった。自分の中
である程度納得したのだろうか??これがレース引退を決意した日だった。
《レースと少しのこだわり、紹介》
レースに夢中になって何年だろう。
1984年から1999年までの15年間で約300レース。本当にレース漬けだった。
1987年まではウインドサーファー艇、その後はコースレースボードに乗り換え
99年まではレース一筋《毎年3月から11月までですが(12月~2月はウエーブ)》。
15年間特にクローズホールドの、何て言ったらいいのだろうか?【絶妙な感覚に魅
了されていた】すみません、説明できません!
とりあえず、《コースレーシングの奥深さに人生を感じていた!!》っとでも言って
おきましょうか!
87年まではウインドといえばウインドサーファー艇しかなかったので、レースとい
えばこのボードに乗っていた。
その後、コースレースボードが主流となったわけですが、とにかく夢の上り角度を追
求してきた。
【カスタムコースレースボード】
その為にカスタムコースレースボード製作には有金すべてを使い果たしていた。
1本40万円近くのボードを半年に1度は作ってテストしていた。
自分だけの最高の1本を目指して。
今思えば、そのような事も良い思い出だっだ!いや良い経験だったとしておきましょ
う。
【ハーネス】
そして中でもハーネスは、かなりこだわった。
多分昔レースを一緒にやっていた人達は記憶があるだろう。
オリジナル2段ハーネスです。
自分に合った大きさにハーネスを作り(当時そういうパーツを作るのが好きなウイン
ドサーファーがいたので特別に作ってもらった)、そこにはハーネスラインを引っ掛
けるフックが2個付けられるようにベルトが縫われてかなり手の込んだ一品です。
もちろん何回も納得いくまで作り直した。
見た目はイマイチだったが性能は抜群だった!。
そして多くのレースで勝ったのはこのハーネスのお陰。
上側のフックは微風とサバイバルコンディション用、下側のフックは順風用、使い分
けていた。
写真をアップしようとして探してみたが、もうゴミとして捨ててしまったようだ。
レースでは自分なりにエクイップメントに凝りまくりレースも自分のスタイルを見つ
けてきた。レースで自分を表現していた気がする。
【練習】
当時はサラリーマンだったので、土日のみのセイラーでした。吹けばたまに休みも取
ってましたが年間で会社の休暇を取るのは15日ぐらいです。殆どは大会の遠征によっ
て消化されていました。でも練習時間は自分で探すもの。それもセンスだ。仕事が速
く終わる時は必ず夕方~夜まで吹けば必ず乗っていた。とにかく練習する時間を見つ
け出し、練習量を増やし、より集中して練習することに心掛けていた。
【94年6月のハイウインド】《RACE-BULLETEN》のコーナーにて。(1P)。