【タクティクス講座20編《想い出の数々紹介》】
レースで一番大きな想い出、自分の中で印象に残ることをあげるならこの2つだろ
う。
【1987年全日本ウインドサーファー選手権優勝】と、1994年第1回目の愛知国体に自分の
全てを懸けて静岡県の予選に臨んで当時ライバルだった秋田さんに負けて【本選にすら
出場できなかったこと】。

だがまだ思えば特に印象深いことはいろいろとあった。
まず85年ぐらいに始めて出場した湘南で開催された全日本ウインドサーファー選手権。
何レース目かは覚えていないが、11月なのにポカポカ陽気で風弱く、多くの選手は
シーガルでの参加。しかしレース開始直後に風速20m/s以上の風が突然入りだし、し
かも完全なるオフショアで気温も急激に下がり始めていた。遥か沖合いでのレースで
あった為に、参加約200名の選手の半分以上の百数十名が帆走不能となり沖に流され始
めた。それは壮絶な景色だった。
私もそのレース、既にレース中でクローズホールドの状態にはいってましたが身の危
険を感じ、必死で、本当に必死で海岸にたどりつきました。救助には海上保安庁と地
元の漁師の方々による夜を徹しての救助活動により、偶然にも事故にはなりませんで
した。その日は夜中になっても数人の行方がわからず、救助ヘリによる懸命の救命灯
落下の光景は生生しく今も記憶に残っています。救助が夜中になって既に冷えきった
状態で助けられた仲間を担ぎながら風呂に運んだ覚えもあります。後の自分のレース
活動にもこのことが大きく影響したのでしょう。
天気図を自ら読み、自ら観天望気することを多く学んだのです。
そして一つ、自分のレース活動において唯一自慢できることと言えば、出場した約30
0レースの中で【他人に1度も救助されなかった】ことのような気がします。

次は先ほど述べた【87年の全日本ウインドサーファー選手権】で最終レースを待たずに
優勝したことです。当時はレースだけで5日間ぐらいの長丁場で体力よりもメンタル
的な面でしんどかった。トータル7レースが予定されていたのですが、6レース目
で(1レースカット分は残して)優勝したことは最高の喜びでした。
この頃の全日本と呼ばれる大会には、県大会があって、中部選手権があって、その予
選を通過してようやく全日本に出られた為、それには価値があったような気がする!。
当時浜名湖からは根本君(現在活躍中の根本プロ)がまだ高校生ぐらいだったかな?既
に参加してましたね。ちなみにその年にレディースで優勝したのがやはり当時学生だ
った(現在活躍中の土佐洋子プロ)。その時に学生で出場していた選手の中には今も現
役でサーキットとかで活躍してる選手も多くて、思えば結構皆さんレース活動長いで
すよね・・・!!




長いレース生活の中でゲットした一番大きなカップ【JAPAN-CUP】