【タクティクス講座21編《想い出の数々紹介パートⅡ》】
当時はアマチュアレースでは少々の自信もあり、海外でどのぐらい走れるか興味があ
った。それは自分のレベルを知る上で非常に大きかった出来事だったな。そのレベルの
差は、果てしなかった!!タイで行われたアジア選手権とシンガポールで行われた世
界選手権への出場。約1週間かけて10レースが行われるのですが、肉体的精神的に相
当タフでないと戦えないという記憶がある。世界と自分のレベルの差も歴然と味わえ
る!結果に?。
伊勢湾カップは自分の中では夏最大のお祭り!だった。
90年に初の8位入賞を果たす。アマチュアながら始めて貰う結構な賞金だった。
当時は殆どのプロ選手も参加していた。賞金総額も高額でワールドカッパーのブルース
ワイリー選手等何人か参加していた。
その後、絶好調で向えた時の伊勢湾カップ初日、5位-1位まではトップだった。でも3
レース目で20何位をとって総合5位。この時のみが優勝できるチャンスだった。その
後入賞すらできなくなり、人生の中でスポーツにおいてピークを迎えるその瞬間にモ
ノにしないと、ビックタイトルは二度と取れないっ、と痛感することになった。
そして実連に入ってからも、やはり全日本優勝を目標に。
いつもライバル秋田さんとは最終レースまで常にバトルしていた記憶がある。
実業団の大会はいつも僅差のポイントながら完全に押さえこんでいた。でも国体の
予選では殆ど勝てなかった。
思えば、国体に出場というよりはただ秋田さんに勝ちたかっただけのような気がする
!!全日本という名の付く大会で5回の優勝を果たしたこともいい思い出だ。
ちなみに【87年ウインドサーファー全日本優勝】【95年全日本実業団選手権】【94年と
95年全日本実業団選抜選手権優勝で2回】【94年全日本実業団スラローム選手権優勝】
そういえば第一回目の実連全日本スラローム選手権の優勝ってのも印象的だった。
スラロームは特別練習したことは無い。全てはウエーブの延長だったから。
この時始めてカスタムスラロームを手に入れた。ワールドカッパーが乗るフィルマク
ゲインのエッグボードといわれる当時では最新のノーノーズのスラロームボードだ。
メチャメチャ速くて、行われた2ヒート中、予選を含めて風速10m/sを超える完プレ
レース、8レース全てトップフィニッシュした想い出がある。
その後、カスタムボードって言われるボードが好きになったようだ!
それからいい想い出なのか悪夢なのか、第一回目に開催された愛知県国体の予選会だ。
なぜか!『まず1回目ってのが非常に大きなウエイトを感じていた。この時自分は
絶好調だった。季節的に愛知県の蒲郡は風が吹くし地元浜名湖と風の質が同じでタク
ティクスが組み易かった。作ったカスタムボードもグット、肉体的にも精神的にもか
なり充実していた時。誰にも負ける気がしなかった時。レースがよく見えていた時。
県代表にさえなれれば多分この時だけは○○出来たと思う?』
とにかく自分の全てを賭けて・・でも負けたことが、なぜか心に残る一番大きないい
思い出かな。
後に自分のピークが去ったと思われる時期に2回ほど国体に参加できたが、国体とい
う大会と自分のレースに対するスタイルとでは違いがありすぎて、あまり魅力のある
大会ではなかったことに気がついたのですが。
さらに、それらの多くのレース活動を振りかえれば、なんといっても会社に勤めなが
らのアマチュアレース活動で数多くの入賞(約200回)が果たせたことに少しですが目標
に対して、やり遂げた~!っていうような実感があるような・・・!。
大会で頂いた賞状は50枚ぐらいあるけど、中でも一番価値のある賞状はこの一枚!
全く大会とは関係無いけど、レース活動しながら20年間(も)JR東海に勤めれたこと。
(サラリーマン生活とレース活動の両立)が果たせたこと、のような気がします。